先日2月1日に前東京都知事であり、作家でもある石原慎太郎氏が89歳で日ノ本・日本の神となられました。
心ある国士でもある石原慎太郎さんの訃報は悲しいものがありました。
仏教などではここで「ご冥福」とか「哀悼の意」という言葉になるのでしょうが、
石原氏は覚悟を肚に持った国士ですから、ここは神の国日本として、
神籍となられた事に思いを偲ばせつつ、弥栄したいと思います。
石原氏の活躍は作家であり、議員でもあり、都知事でもあり
そして神国・日本を取り戻すための国士でもありました。
石原氏の功績や、ドジっ子談話などは多数ネットに氾濫しているので、
私は国士とは何を背負って、何と戦うのかを一人の人物の遺書を通して残したいと思います。
今回はここに東条英機閣下の「遺書(3通)」と処刑直前に東京巣鴨において、
教誨師の花山信勝師の前で東条英機が朗読した「遺言」を記しておきたいと思います。
勿論原文では私たちは読むことが難しいと思うので読みやすくしたものをあげておきます。
読んだらおそらくは「おのれ!鬼畜米英」とか、先日逝去された故石原慎太郎氏の気持ちが判るかもしれません。
媚中や媚韓に限らず、国体そのものを破壊した米国に拝する愚かさを今一度知ってほしいと思います。

やっぱり日本の国旗は美しい。
《英米諸国人に告げる》
今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。この深刻な事実は私も固より、これを認めるにやぶさかではない。しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、正理公道による勝利ではない。私は今ここに、諸君に向かって事実を列挙していく時間はない。しかし諸君がもし、虚心坦懐で公平な眼差しをもって最近の歴史的推移を観察するなら、その思い半ばを過ぎるものがあるのではないだろうか。我れ等はただ微力であったために正理公道を蹂躙されたのであると痛嘆するだけである。いかに戦争は手段を選ばないものであるといっても、原子爆弾を使用して無辜の老若男女数万人もしくは数十万人を一挙に殺戮するようなことを敢えて行ったことに対して、あまりにも暴虐非道であると言わなければならない。
もし諸般の行いを最後に終えることがなければ、世界はさらに第三第四第五といった世界戦争を引き起こし、人類を絶滅に至らしめることなければ止むことがなくなるであろう。
諸君はすべからく一大猛省し、自らを顧みて天地の大道に恥じることないよう努めよ。
《日本同胞国民諸君》
今はただ、承詔必謹する〔伴注:終戦の詔を何があっても大切に受け止める〕だけである。私も何も言う言葉がない。
ただ、大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、私は国家の生存と国民の自衛のため、止むを得ず受けてたっただけのことである。この経緯は昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔に特筆大書されているとおりであり、太陽の輝きのように明白である。ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである。不幸にして我が国は力不足のために彼の国に敗けたけれども、正理公議は厳として我が国あるということは動かすことのできないことである。
力の強弱を、正邪善悪の基準にしては絶対にいけない。人が多ければ天に勝ち、天が定まれば人を破るということは、天道の法則である。諸君にあっては、大国民であるという誇りを持ち、天が定まる日を待ちつづけていただきたい。日本は神国である。永久不滅の国家である。皇祖皇宗の神霊は畏れ多くも我々を照らし出して見ておられるのである。
諸君、願わくば、自暴自棄となることなく、喪神落胆することなく、皇国の命運を確信し、精進努力することによってこの一大困難を克服し、もって天日復明の時が来ることを待たれんことを。
《日本青年諸君に告げる。》
《日本青年諸君各位》
我が日本は神国である。この国の最後の望みはただ諸君一人一人の頭上にある。私は諸君が隠忍自重し、どのような努力をも怠らずに気を養い、胆を練り、現在の状況に対処することを祈ってやまない。
現在、皇国は不幸にして悲嘆の底に陥っている。しかしこれは力の多少や強弱の問題であって、正義公道は始終一貫して我が国にあるということは少しも疑いを入れない。
また、幾百万の同胞がこの戦争のために国家に殉じたが、彼らの英魂毅魄〔伴注:美しく強い魂魄〕は、必ず永遠にこの国家の鎮護となることであろう。殉国の烈士は、決して犬死したものではない。諸君、ねがわくば大和民族たる自信と誇りをしっかり持ち、日本三千年来の国史の導きに従い、また忠勇義烈なる先輩の遺旨を追い、もって皇運をいつまでも扶翼せんことを。これこそがまことに私の最後の願いである。思うに、今後は、強者に拝跪し、世間におもねり、おかしな理屈や邪説におもねり、雷同する者どもが少なからず発生するであろう。しかし諸君にあっては日本男児の真骨頂を堅持していただきたい。
真骨頂とは何か。忠君愛国の日本精神。これだけである。
東条英機の遺言(全文)
昭和23年12月22日夜、死刑執行(12月23日零時)数時間前 開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。今回の処刑は個人的には慰められるところがあるけれども、国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。しかし
国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。力の前に屈した。
自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。ただ同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。
天皇陛下および国民に対しては、深くおわびする。元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部あやまちを生じ、世界の誤解を受けたるは遺憾である。日本の軍に従事し、倒れた人および遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。
今回の判決の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ、もしこれが永久の平和のためということであったら、もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。
この裁判は、結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せね。
天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。天皇陛下の形式については、あえて言わぬ。
存在そのものが必要なのである。それにつきかれこれ言葉をさしはさむ者があるが、これらは空気や地面のありがたさを知らねと同様のものである。 東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。
今回の戦争にて、東亜民族の生存の権利が了解せられはじめたのであったら、しあわせである。
列国も排他的な考えを廃して、共栄の心持ちをもって進むべきである。
現在の日本を事実上統治する米国人に一言するが、どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。
また、
日本人が赤化しないように頼む。東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにしなければならぬ。実は、東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。
こんご日本は米国の保護の下に生活していくのであるが、極東の大勢はどうであろうか。
終戦後わずかに3年にして、アジア大陸赤化の形勢はかくのごとくである。こんごのことを考えれば、実に憂なきを得ぬ。
もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。
日本は米国よりの食糧その他の援助を感謝している。しかし、もしも一般人が自己の生活の困難や、インフレや、食糧の不足などを米軍の日本にあるがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。実際にかかる宣伝をなしつつある者もあるのである。よって、米軍は日本人の心を失わぬように注意すべきことを希望する。
米国の指導者は、大きな失敗を犯した。日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。いまや満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。米英はこれを救済する責任を負っている。従って、その意味においてトルーマン大統領が再任せられたことはよかったと思う。 日本は米国の指導にもとづき武力を全面的に放棄した。それは一応は賢明であるというべきである。しかし、世界が全面的に武装を排除していないのに、一方的に武装をやめることは、泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。
私は、
戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。これはお互いに欲心を放棄していない証拠である。国家から欲心を除くということは、不可能のことである。
されば世界より戦争を除くということは不可能である。結局、自滅に陥るのであるかもわからぬが、事実はこの通りである。それゆえ、第3次世界大戦は避けることができない。
第3次世界大戦において、おもなる立場に立つものは米国およびソ連である。第2次の世界大戦において、日本とドイツが取り去られてしまった。それゆえ、米国とソ連が直接に接触することになった。米ソ2国の思想上の相違はやむを得ぬ。この見地からいうも、第3次世界大戦は避けることはできぬ。
第3次世界大戦においては、極東がその戦場となる。この時にあたって、米国は武力なき日本をいかにするのであろうか。米国はこの武力なき日本を守るの策をたてなければ、また何をかいわんや。そうでなしとすれば、米国に何らかの考えがなければならぬ。
米国は、日本8千万国民の生きてゆける道を考えてくれねばならない。およそ生物としては、生きんことを欲するのは当然である。産児制限のごときは神意に反するもので、行うべきではない。
なお言いたきことは、最近に至るまで戦犯容疑者の逮捕をなしつつある。今や戦後3年を経ておるのではないか。新たに戦犯を逮捕するというごときは、即時にやめるべきである。米国としては、日本国民が正業につくことを願い、その気持ちでやって行かなければならぬ。戦犯の逮捕は、我々の処刑をもって、一段落として放棄すべきである。
戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。従って遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。 戦犯者の家族には、保護を十分に与えられたし。
青少年の保護ということは、大事なことである。近時いかがわしき風潮は、占領軍の影響からきているものが少なくない。この点については、わが国古来の美風をも十分考慮にいれられたし。
今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし。もちろん、日本軍人の間に間違いを犯した者はあろう。これらについては衷心、謝罪する。
これと同時に、
無差別爆撃や原子爆弾の投下をなしたことについて、米国側も大いに考えなければならぬ。従って、さようなことをしたことについては、米国側も大いに悔悟すべきである。
最後に軍事的問題について一言するが、我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。あれでは陸海軍一本の行動はとれない。兵役については、徴兵制によるか、傭兵制によるか考えなければならぬ。我が国民性を考えて、再建の際に考慮すべし。
教育は精神教育を大いにとらなければならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任感をゆるがせにしてはならぬ。この点については、大いに米国に学ぶべきである。学校教育は、人としての完成を図る教育である。従前の醇朴剛健のみでは足らぬ。宗教の観念を教えなければならぬ。欧米の風俗を知らせる必要もある。俘虜のことについても研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。
『秘録 東京裁判』清瀬一郎著(中央公論新社)より
如何に東条英機が無念のうちに散っていったのかがわかると同時に、自分の命の最後に
先に若くしてこの国を託して散っていった英霊たちの言葉を文字として残してくれていった
そのことにひたすら感謝をする一方で、今の日本を見たらどんなに嘆かわしく、
どれだけの失望をさせてしまうだろうかと、胸が苦しくなってしまいます。
そして改心しないままであるなら第三第四第五といった世界戦争を引き起こし、
人類を絶滅に至るまで止むことはないとまで残している事から、すべて見えているのでは?とも。
先日亡くなられた石原氏はこの思いをしっかりと受け継がれた国士でもありました。
遺言なの中の一つには海に散骨を望まれたそうです。
海と言えば日本の守護の要、乙姫様の領域であり、海洋国家である日本の命の根源です。
いつまでも見守って下さること、感謝という言葉では足りないものです。
処刑間際の遺言には様々な「今後」が語られていました。
良き返してみると今まさにその真っただ中を武装もなしの丸裸で小舟に揺られているようです。
予言ともとれる具体的な戦争のおぞましさが良くいも悪くもきちんと伝わってきます。
先述した記事ではヒトラーの擁護のような記事だと見受けられたかと思いますが、
そう思わせることが米国の取ったプロパガンダであり、その米国の統治下での教育など
ヒトラー極悪人説を植え付けるもので、共産主義と戦う事をヒトラーは見極めていたのです。
戦争はいけない事だと誰もが口にします。
でも、口ではそういいながら戦争をしないと亡びる危険がある国が存在するのも事実です。
先の話ではありませんが中国、韓国、ロシアなど武力をちらつかせてはいますが
本当の意味での敵は米国という事を忘れてはいけません。
中韓露を非難するのであるなら米国も同時に非難をしないとつじつまが合いません。
どんなに精神性が、民度が、と言っても彼ら米国が日本人にしたことは搾取奴隷ですから。
精神的な白痴の方が効率よく搾取できるからですよ。
そこに気づけない人は似非保守と言っても間違いではありません。
SNS上でどれだけのフォロワーがついていたとしても、米国に言及しないあたり、イミフです。
日本が本当の独立した主権国家となるには拝米こそが最終目標です。
そこをはき違えないでいただきたいものです。
今回東条英機閣下と、石原慎太郎氏には
一言、日本大好き!という言葉に凝縮されているように感じました。
戦争は決していいことではありません。
侵略戦争ではなく、自営のための戦争であったし、東亜を開放するための戦争だったのです。
どこぞの宗教団体が、日本は、サタン国家とレッテルを貼るのは日本を奴隷にする為です。
もし日本が勝っていたら何とよんだのでしょうかね?
日本人が誇りを取り戻さない限り、この言葉を甘んじて受け続けることになります。
決して日本はサタン国家ではないのです。
世界でも稀な神の国なのです。
日々上げている日月神示はこうなることが示されているのだし、
戦争前の人々はそういう直観力に優れた人も数多くいらしたそうです。
最後に続きの部分には昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔(現代訳文)を記しておきます。
どんな経緯で大東亜戦争に突入せざるを得なかったか、残念ながらYoutubeで
太平洋戦争はGHQ占領下の教育にる連合側の文言であり、日本政府の発表は
「大東亜戦争」と明言していると書き込んだら、Wiki信者らしく二言目にはただのイデオロギー、
愚かな話だ勉強しろと言われましたが、勉強するのはあなたではないですか?
日本の立場を話しただけでこの剣幕でしたからあきれました。
自称目覚めた人とか言うんだろ?ですよ。歴史調べてからものを言え、といいましたけどね。
どうやら共産主義と戦っていた陣営がどこなのかを知らないようで心の奥ではわらってました。
歴史は追体験ができない我々に先人たちが残した人類の生きた証です。
世界を見る力、真実を見る力、信じて愛する日本国に誇りをもって取り戻しましょう。
それでは、石原慎太郎氏を偲んで、日本という国が存在する意味や
国を守り、国を愛することを改めて考えるために東条英機閣下にもご登場いただきました。
んではマタネー♪(o・ω・)ノ))ブンブン
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